robou55’s diary

http://d.hatena.ne.jp/robou55/ のつづき

科学の衰退は予算削減というよりはむしろバブル期の予算増強のせいでは?

最近、日本の科学力の衰退について耳にし、大きな原因の一つに予算削減が指摘されることが多い。これは正しい側面もあるのだが、個人的には、バブル期の動向がちょっと怪しいのではないかと思っている。

この時期は、どちらかというと、予算が余ってしまっていて、この時代に博士をとった人材の直面した状態は

・予算・ポジション的にも潤沢であった。一方で、それらの審査は重鎮の意向で決まるので、その分野でいかに目立ち、上にいかに気に入られるかが最重要課題となった。科学者は、実は人材登用については素人であり、マネーの虎方式で人選をしてしまうことが多い。つまり、目立つ、は必ずしも成果を上げることではなく、発言力のある人にいかに顔を覚えてもらうか、ということである。言い方を変えると、成果を上げなくても「オヤジ転がし」が上手ければ、就職でき、予算を獲得できる道ができてしまった。

・日本国内でも十分な研究資金・設備が整うようになり、留学の必要性がなくなった(ので海外に行こうという動機付けがなくなった)。

ということで、今で言うところの、「意識だけ高い系のベンチャー社長」のような人、かつ、実績を上げることもなく、海外にまともなネットワークを持たない教授が増えてしまった。結果、研究する能力や海外への発信力の弱い人が教授になってしまい組織が弱体化したのではないか?

もっと簡単に言うと、研究実績よりも、組織の渡り方、が重要になってしまった。大企業化が進んだと言ってもいいかも。

ただ、昭和初期世代の教授にはスーパーマンみたいな人もおおいのも確かなので、そういう桁外れな人たちの能力に頼って支えられていたひずみ、あるいは、スーパーマンな人たちが、普通の人たちを教育するシステムを作らなかった組織としての脆弱性が原因とも言えるのかもしれない。