robou55’s diary

http://d.hatena.ne.jp/robou55/ のつづき

ライブドア新聞

http://www.asahi.com/national/update/0218/019.html


何となく堀江社長を見ていると「頭はいいんだけど、世界が自分の頭の中だけで常識がないT大君」という気がしないでもないけど、世間がついてきていないのか?。海外では資本から乗っ取るのは当たり前、といいたいようだけど、仕事を広げるためにやるのなら乗っ取られる側や周囲と敵対関係を作るような事はしないと思うけどね。=もっとうまくやるのでは?。


江川紹子との対談
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html
をちらっと見ると、
「ニュースのオープンソース化」
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000050154,20080258-2,00.htm
を連想する。


堀江新聞はBlogランキングってことか?。


こういうときに忘れがちなのは、小さな記事がうもれる云々というよりは、ニュースは組織でないと集められない場合が多いこと。


例えば、取材対象が巨大な組織や国になったときには組織力がないと対応できない(個人では身を守れない)。また、地域の行事等本当に小さな物は専門の組織が集めてくれないと「やってられない」し、行事をする方だってどこで宣伝すればいいのかわからない。ついでに市民記者には文章能力、取材能力ともに安定した物を期待できない。市民記者による新聞はネット上でもいくつか有るが、むしろ進んで市民記者になるような人は社会正義に燃えすぎるあまり、思想が偏っている傾向も有るように思える(長い目で見ればよい記者が生き残るといえるが)。


個人がコツコツ追うのが向いている物も有るだろうし、組織が向いている物も有る。今は組織発のニュース流通に偏りすぎているというのはいえるかもしれない。


#上記の対談では、編集という部分に注目しているけど、実際にはマンパワーの関係上、どの事件にどの程度の取材力を投入するかの部分での取捨選択の方が大きいような気がする。


「小さな記事がうもれる」というのは、(ネット上にデータが公開されるとすれば)堀江方式では、むしろ逆で、大きな物も小さな物も分け隔てなくただの一つのWebページになり、ネット上では紙面に限りがないのでカットされる事もなく、むしろ平等になる、というのが正しい解釈。フリージャーナリストには歓迎すべきシステムだと思う。。


読まれていない記事には意味はない、というのは世の中に与えるインパクトファクターと考えれば正しいし、ニュースソースをとにかく取り込んで、アクセス数やGoogle形式で評価をする、というのはインパクトファクターをはかるいいやり方だと思う。学術論文の評価システムとよく似ている(ただし査読システムがないが)。きっとYahooのニュースなんかはそういう集計はしてるんだろうな。


誰かがblogでいろいろ注目ニュースを拾っていく。人は自分と感性の合うニュースウォッチャーのリンクをたどるようになる。というのが一つの流れでしょう。そういうサイトはいくつも有るけど、そのうち自分でニュースを集めるんではなくてニュースへのリンクを作る事に特化して飯を食っていくニュースウォッチャーという職業ができるか?


ともかく、いろいろな性格のニュースソースが世の中に存在するという事が重要でしょう。