robou55’s diary

http://d.hatena.ne.jp/robou55/ のつづき

科学研究費削減

科学技術はかなり発達してきたので、最先端の科学技術の発展=世の中の発展という図式は成り立たなくなってきているように思う。DVDを再生できるようになったPCがこれ以上性能を上げても、多くの人にとっては、できることがあまり増えないのと同じ、あるいはF1マシンがこれ以上性能を上げても一般の車にはほとんど影響を与えないのと同じといえる。


総額が国家予算に対して雀の涙ほどであれば、「まあ、趣味の一環としていいじゃないですか」ですむが、そのあたりの金額のスケールがよくわからん。


科学技術の研究をやめてしまったら問題なのは分かる。たとえば新型インフルエンザが現れたときに、速やかにウィルスを同定し、ワクチンを作る事ができるのは限られた国だけだ。そして、そのような技術を改善していくには研究者の健全なコミュニティーの維持が不可欠である(不健全なコミュニティーイノベーションの邪魔をする)。


イノベーションを起こすためにはしっかりとした基盤となる要素技術が必要なことも確かで、そのためには、「こんなこともやってんのか!」というような幅広い分野に対する地道な発展の歴史とそれを支える継続的な資金が必要なことは確か。


ただ、コミュニティーの運営のためにどの程度の金額が本当に必要なのか?、投入されたお金は本当に有効に利用されているのか?、について本気の検証をする必要はいつか出てくるわけで、投入されたお金の有効利用度、に相当するような指標を出さないと説得力はない。


いずれにしても、1回、「ホントにそんなにお金がいるのか?」ということをまじめにオープンな形で聞かれるのは非常によい機会だと思う。予算が打ち切られるときに新しい分野が生まれる、という都市伝説もある。


いい機会なので、(科学研究だけでなく人材育成という広い観点から)大学や大学入試のあり方とか中高教育のありかたを問い直してみたらいいのではないだろうか?