robou55’s diary

http://d.hatena.ne.jp/robou55/ のつづき

http://agora-web.jp/archives/1470145.html

主旨には賛同するが、方法論は極端すぎる。

教科書はできるだけ抽象的かつ簡潔に

私は教科書をデジタル教科書にすること自体には反対しませんが、デジタル教科書はあくまでペーパーレスにするためだけに使い、きれいな図やダイアグラムのようなものは出来るだけ排除し、出来るだけ抽象的な文字情報だけを生徒に提供すべきだと思います。

数学者らしいな..

ある人は、数学者と話していて、「もっと抽象的にいってくれないとわからんわ」と言われたことがあるらしい...

このお方に欠けている考えは、「みんながみんな自分と同じように物を考えられるわけでも、そうしたいわけでもない」ということだろう。平たく言うと、「みんながあなたほど頭がいいわけじゃないのよね」ということ。

さらに、情報教育というのが何を指しているのかよくわからないが、たとえばwordやexcelの使い方、であっても、今の時代にひつような最低限のスキル、という意味では重要だ。

使い方は、触っていれば分かる、と言うが、意外とそうでもない。タブの使い方などは、習わないと意外と気づかないと思うし。

我流の使い方で問題ないのは、「先生」だから。体系的に一通りワープロ表計算が持っている機能とその常識的な使い方を習う、というのは組織で働く場合は結構大事なはずである。

さらに、使い方を入り口にして、なぜこういう機能が付いているのか、というところから文章はどのように書く物なのか、というルールにたどり着くこともできる。場合によってはこういう学習の仕方の方がわかりやすいかもしれない(ワープロ、あるいはアウトラインプロセッサを使うことで文章の構造化はしやすくなると思う)。


ちなみに、私としては、論理的思考力(あるいは問題解決能力)を鍛えるにはコンピュータプログラミングが適しているとおもう。

思い通りに動くかどうかはまさに自分の腕次第。動かなければ、なぜうまくいかないかを考え抜く必要も出てくる。このときに、問題解決能力の重要な部分が養われる。

数学と違って、アクション(プログラミング)、リアクション(実行結果)の世界なので、結構飽きない。

言語は何でも良いのでつかった経験があれば、「エクセルのマクロでなんとかならないのかな?」「面倒なことはPCにやらせよう」という気持ちが芽生え、IT産業の底上げにもつながるのではなかろうかと... もう遅いか。


ついでに、「国語教育を徹底してやるべきだ」というのも(国語教育が何を指すのかにもよるが)賛成ではあるが、「徹底してやるべきだ」というのはだいたいうまくいかないんだろうな。

おそらく、「頭のつかいかた」を教育するべきだ、というのが主旨になるのだと思う。「頭の使い方」は、すべての事柄に通じる基本事項であるので、すべての科目からつながる切り口がある(体育だってそうだろう)。

どのような興味に反応するかは人によって違うので、様々な方向からアクセスできる方がよい。国語とか数学とか科目で切ること自体が間違えなのだろう。

根底にあるつながりを示すことが大事。

「あたまのつかいかた」って科目を作ればいいのか!