robou55’s diary

http://d.hatena.ne.jp/robou55/ のつづき

[愚痴]富士山
「戦略」という言葉を耳にすることが多くなったのだが、どうもよくわからず、いろいろと読んでいるうちに目標設定と戦略作成の重要性を語る言葉として、「散歩のついでに富士山に登る人はいない」という言葉を聞いた時にちょっとだけピンときた。

たしかに「いつかは富士山に登りたいなぁ」では富士山に登ることはできないだろうし、ちょっと散歩してて気づいたら頂上だったわ、ということもないだろう。

しかしながら、まだ、なんとなく腑に落ちない気持ちがある。

何が腑に落ちないのかは、まだはっきりわからない(というより戦略的思考ができない人間の単なる愚痴なのだとおもう)のだが、

勝手に感じる最近の風潮では、どうも何かをするには富士山級の目標を立てておかねばならない、富士山級の目的に通じる山登りでなければ意味が無い、と言われているような気がしてしまう。あるいは、富士山を目指せない or 富士山に登ることができないのは落ちこぼれである、これは、逆に返すと富士山に登ることができたものはエリートである.... 。

山登りって面白そうだから、まずは、この山をのぼって見るか、でも良さそうだし、全ての山登りが富士山に通じてなくても良さそうに思う。いや、僕はもうちょっと別の山にのぼるわ、いや、僕はこの山を知り尽くしたいわ、でも。

もちろん、「世界で初めて富士山に登る」のであれば競争相手がいるので、最短距離を目指した戦略を取る必要があり、目的が違う人はチームから外れてください、は別にいいと思う。

問題は、「世界で初めて富士山に登りたいんです!」といっておきながら山に登る算段が全然できてなさそうだったり、いや、君、山登ったことないやんけ、だったり、しかしながら周りの人がその人をもてはやしたり、というところかな。

あと、逆にいうと、「富士山に登る」ばっかりいってて、本当に高いのはエベレストやんけ、とか、いやいや、もう別ルートから富士山登った人いるし...、という場合もあるのだが...

ン、話のはじめと最後がずれた、やっぱりただの愚痴だったな....

富士山の話を聞いた時にピンときたのは、「戦略をたてる」ってよくわからないなと思っていた時の大きな勘違いは、結局、目標が定まらないのに戦略のみを建てることはできない、ということだ。時には、目標設定そのものも戦略策定に含まれるのかもしれないが(戦略目標というやつか)。

よい戦略とは具体的な行動指針を導くことができるものだ、という指針があるわけだが、良い目標設定とは戦略を導くことができるものだ、と言い換えることができるかもしれない。たとえば、「良い社会を作りたい」は良い目標とはいえない。達成されたかどうかを判定する方法(目標達成基準)が定義されていないからだ。目標達成基準がなければ戦略も立てられない。

いや、それはひとつ下の階層で、目標達成基準を定義するのが戦略目標と言われるものだ、と言い換えることができるのかもしれないが、まあ、結局、評価する指標が指定されていない目標を達成するための作戦は練れない、という点でおんなじようなものだ。

事業戦略を練れ、とか言われた時は、考えるのは目標設定なのか、目標を達成すべき方法なのかをはっきりさせたほうが良い、という当たり前の話になってしもたな。

[愚痴2] インセンティブ
インセンティブを働かせる、というのは、いわゆるMotivation2.0的な考え方かと思う。いまでもこの考え方をする人は非常に多く、また根深い。何かをするにはインセンティブが必要であり、インセンティブが無いことをするのは時間の無駄、という感じ。

ただ、最近、インセンティブと取引、あるいは交換条件の区別がつかなくなってきた。「xxするなら報酬YYを与える」「zzを約束するならaaを与える。zzの約束を破ったらaaは返してもらう」、 こういう感じで使う場面を結構見かけるんだけど、これってただの取引だよなぁ...インセンティブって要は取引のことだったんか???

そう考えると、能動的動機付け、を与えるのは失敗するよなぁ。